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苦痛主義/無生殖主義のアクティヴィズム

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​無生殖協会

穂積は2020年に無生殖協会を共同設立し、以来代表を務めています。

Image by Glenn Carstens-Peters

何をどう言うべきか

「反出生主義者」を名乗りながら過度に攻撃的、もしくは悲観的な言動をインターネット上で繰り返す人々があまりにも多すぎます。

そういう人々の言うことに限ってリツイート/リポストなどで拡散されやすいものですから、「反出生主義」と呼ばれる立場は支持を広げることができず、反出生主義の支持拡大を目指して真剣に活動している者や、反出生主義がもう少しだけ広く支持されていれば作られずに済んだであろうヒトや非ヒト動物の意識たちが迷惑を被っています。

もちろん、反出生主義者(を名乗る人々)の言うことの全てが反出生主義の中身を反映するわけではないということを分からずに、あるいは分からないふりをして、反-反出生主義のプロパガンダとして機能する仕方で情報拡散に加担する人々の責任は全く問われなくてもいいのだと主張したいわけではありません。

しかし、そういう者の存在を無視して頭に浮かんだことを何でもかんでもインターネットに垂れ流してしまうことは、反出生主義の支持拡大に貢献せずとも邪魔することはしない、という反出生主義者として最低限果たすべき責任の放棄を意味します。

* 我々無生殖協会は「反出生主義」という語が起こし得る問題を避けるために「無生殖主義」という語を代用する立場をとりますので、ここからは「反出生主義」を「無生殖主義」、「反出生主義者」を「無生殖主義者」と表記することにします。

表現の内容(特に強調して語るべきこと)

  1. 無生殖主義者は「(多くの場合共感に動機付けられた)理性の行使」の結果として無生殖主義を支持している。

  2. 無生殖主義を支持することは、必ずしも悪い人生を送っていることを意味するものではない。ある者が悪い人生を送っていることはその者が無生殖主義の支持に至ることを容易にするだけで、無生殖主義の正当性には何の影響も及ぼさない。

  3. 無生殖主義者を支持しない者は、まだ生殖の道徳性についてきちんと時間をかけて考える機会を与えられたことがないだけだ。必ずしも「悪人」だから支持しないのではなく、きちんと時間をかけて考えれば必ず理解と支持に至ることになる。

  4. 無生殖主義を優生思想、ナチズム、宗教などと結び付けて批判しようとする人々には、いったん全ての前提を忘れて、あらゆる種類の価値の源である苦痛の悪性(と快楽の善性)に立ち戻って物事を考えてもらいたい。そうすれば個々の立場の違いを適切に認識できるようになるはず。

  5. 貧困や障害など特定の条件に当てはまる人々の生殖は、そうでない人々の生殖よりも悪いわけではない。苦痛を感じる能力を持つ(と合理的に推定できる)者を作る限り、全ての生殖は等しく悪いからだ。

  6. 無生殖主義とチャイルドフリーは無関係。チャイルドフリーは自分のために実践するライフスタイルであり、利他的な理由で支持・実践される無生殖主義とはそもそもカテゴリーが違う。子供を育てたり子供との交流を好んだり、逆に子供の声を聞くことや姿を見ることを嫌ったりしながら無生殖主義を支持/実践することには何の矛盾もない。

表現の仕方

  1. 「論を憎んで人を憎まず」を心がける。

    1. 無生殖主義に反対する立場の人々を蔑称(英語なら『breeder(s)』、日本語なら『ナタカス』『強産魔』『繁罪者』など)で呼ぶことや、無生殖主義の不支持を思考能力の欠如や障害などに結び付ける言動をすることは厳に慎む。説得したい出生奨励主義者を「バカ」と呼んでしまえば、説得を自分で難しくしているあなたがバカに見える。

    2. 「子供好き」が無生殖主義の支持と矛盾しないのと同様に、子供への嫌悪を持つことも無生殖主義の支持と矛盾しないが、その嫌悪を表現することは控える。そのような表現は、無生殖主義者を「我々は醜い赤ん坊たちを街で見かけたくないので、赤ん坊を作るな」と主張する集団のように見せてしまう。

    3. 生殖した人々を責めない。すでに為されてしまった生殖について無生殖主義にできることはない。無生殖主義は未来をより良いものに変えるために実践されるべき倫理学上の立場であり、過去の行いを断罪するための道具ではない;後者としての使い方は支持拡大を妨げ、未来を変える力を無生殖主義から奪ってしまう。

  2. 他のヒトの不幸な境遇(実際に起こった事故、事件、そして特に障害)を無生殖主義の擁護に使わない。

    1. 誤りだと広く合意されている立場(優生思想やナチズムなど)と無生殖主義を結び付けて同一視するのが論理的に誤っていることはきちんと考えれば分かることだが、その結びつきを起こしやすい表現をあえて使って無生殖主義の支持を呼びかけようとするのは支持拡大を遅くするだけであり、愚かである。

  3. 自身の不幸と無生殖主義を結び付ける表現は控える。

    1. 自身の不幸と結び付けていいのは無生殖主義を支持するようになったきっかけだけ。無生殖主義を今支持している理由として受け取られ得る仕方で自身の不幸を語らないように努める。そもそも、無生殖主義を支持するようになったきっかけは訊かれない限り言う必要すらないはず。

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「命」という語を使うのをやめよう

我々ヴィーガンが守られるべきだと主張しているのは「苦感能力(苦痛を感じる能力)を持つ意識のウェルビイング」であって、「命」ではありません。

また、無生殖主義者*が作るべきではないと主張しているのは「苦感能力を持つもの」や「苦感能力を持つ意識**」などと呼ばれるべきものであり、「命」ではありません。

確かに、我々がヴィーガニズムを実践する時には、命を持つ動物に多大な苦痛をもたらす産業を経済的に支援するのを避けることで動物製品の需要を減らし、屠殺や殺処分を受ける個体の数を減らすという限定的な意味では命を守っていることになります。

また、我々が無生殖主義を実践する時には、苦感能力を持つ意識を作らないことの手段が偶然「命」を作らないことであることが多いのは確かです。

しかし、命を作らないことそれ自体は目的ではありません。

主張の要点を伝わりやすくしたくて「命」「生命」「生き物」などと言いたくなるのは自然なのかも知れませんが、命に重点を置いた伝え方は、ノンヴィーガンによる「石油は動物の化石からできているので、ヴィーガンはガソリンエンジンで動く自動車を使えないはずだ」などというナンセンスの流布を許してしまっています。

我々が雑な言葉選びで啓蒙活動をすることは、説得の成功を遅らせて我々の時間を無駄にするだけではなく、ヴィーガンまたは無生殖主義者になり得た被啓蒙者をそうすることに失敗し、結果として多大な苦痛を経験する者が作られることを許すことに繋がる恐れがあります。


* 無生殖主義者とは、行為者は苦感能力を持つ意識が作られないようにしなければならない、という立場を支持/実践する者です。その実践の仕方は事実上、反ヒト生殖主義(広く『反出生主義』として知られている立場)とヴィーガニズムの両立です。

** 意識とは主観的な経験を持つものであり、主観的に経験されないものは苦痛ではないので、意識という語を使うこの言い方は充分に正確で包括的なものだと思います。

 

あらゆる価値の源は苦痛(と快楽)を感じる能力であって、断じて命などではありません。

ヒトに苦感能力があるから我々ヒトには人権が認められており、イヌに苦感能力があるからイヌは虐待から法的に保護され、ネコに苦感能力があるから中国政府に動物愛護法の制定を求める声が上がっているのです。

ヒトやイヌやネコが「命」を持つ生き物だからではありません。

苦痛をもたらすものを避ければ結果的に命も救われることが多いというのは事実ですが、それを「命を守らなければならない」という偽の倫理原則に言い換えてしまってはなりません。

我々の多くは命は大切なものだと教えられてきましたけれども、それは命を守る行為がたまたまウェルビイングを守る行為でもあることが多いからです。


ヴィーガニズムも無生殖主義も、「命」を大切にする立場ではありません。

ヴィーガンや無生殖主義者はそれを分かっているはずです――そうでなければこれらの立場を支持していないでしょう。

誤解を恐れずにあえて危険思想に聞こえかねない言い方をするならば、命が大切にされてはならないのです。

大切にされなければならないのは、苦感能力を持つ意識のウェルビイングです。

これが取り違えられることは絶対にあってはなりません。


命は価値を直接生みません。

価値を生むのは苦痛と快楽です。

 

命という言葉の問題を私などよりもよほど上手に説明してくれているのが The Real Argument による「ビーガンFAQ」の30-33ページ(ver. 3.1)です。

ぜひご一読を!

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