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乾いた

私はずいぶん感情的に乾いた意識になってしまったと思う。

優れた芸術作品の鑑賞を除く私の現実世界での経験は、滅多なことでは私の感情を動かさなくなった。

私の感情を制御困難にした最近の出来事は、羽田空港で海保機の乗員が事故死したという報道だと思う。

それまで事故や災害の報道からメンタルヘルスへの影響を受けたことなどなかったので、私と全く関わりのない(※1)他者の激しい苦痛があったと推定するのが妥当らしい状況に心をズタズタに引き裂かれる初めての経験に困惑した。

それよりも前に遡ろうと思うと、2021年のフェルスタッペンのF1初タイトル獲得まで戻ってしまう。


私はこの乾きを感じており、そのことからマイルドな苦痛を感じている。

しかし感情をとりわけネガティヴな方向に揺さぶられるばかりの存在の仕方はこれの何倍も悪いものだと私は分かっている。

私が例えば交通事故に遭わずに済んでいることは、私に直接的には分からない仕方で善いのだ。

病院のベッドで心の底から世界の存在を呪うよりも、人々と会って話してもほとんど感情を動かされないことを惜しい、寂しいと感じているほうがよほど善い。

そう思ってこの乾き(渇き、と書くべきなのかな)に対応してみよう。


それでも寂しいものは寂しいのだが。


 

※1:世界の側の世界に在る人々が私と厳密な意味で「全く関わりがない」などと言うことは不正確だが、このつれづれなるままにキーボードに向かひて心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつくるだけのゆる~いブログポストではこの表現を使わせてもらう。私の言いたいことはさすがに分かるだろうから。

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